この写真について

“Everything is unique and precious”(「すべては唯一無二で愛おしい」)

写真解説:

2008年、私は自分の意思でここにいるわけではなかった。
私は七星潭について何の知識もなく、波打ち際で眼前に広がる太平洋と12月の曇り空をただボンヤリ眺めていた。

その頃の私の頭を捉えて離さなかったことがある。「目に見えているものの本来の姿は、見えているその通りなのだろうか?」「この世に存在するものの多様性はどうやったら伝えられるのだろうか?」。
電車を乗り間違えて花蓮に来るような私には、いくら考えても答えが出そうにもなかった。

ふと、風景が現実から遠ざかって行くように感じた次の瞬間、波に洗われる石の音が頭の中で反響していた。
足元には無数の石があり、その形は今まで見たことがないような白い帯のような模様が入っているものがたくさんあった。
手に取って見ると、小さいもの大きいもの、丸いもの細長いもの、いろんな模様のもの、当たり前のことだが何一つ同じものはなかった。
これらは、歳月の中で波に洗われてたくさんの石と擦れ合いながら変容し、本来それぞれの石の中にあった個性ある模様を浮き立たせて来たのだということを理解出来た。

急に足元にある無数の石たちを抱きしめたくなった。

以来、この七星潭の石に興味を持ち続け撮影するものの、どう表現していいのか分からないまま5年ほど経ったある日、手にした石を眺めながら、「そうだ、この石たちのポートレートを撮ろう!」と思った。
この石たちとどう向き合えば良いのだろう?自分はこれまでポートレートをどのように撮影して来ただろう?これまでの自分と写真との関係をもう一度振り返ることになった。

試行錯誤の末、この無背景で撮影する方法に辿り着いた。この写真は石を持ち帰って撮影しているわけではない。七星潭で機材をセットして撮影している。その様子は通りがかる人たちには奇異に映るのに違いない。時々、「何やっているの?」と興味深げに聞いて来る好奇心旺盛な人もいる。

しかし、中国語でコミュニケーションが出来ない私が英語や日本語で説明するまでもなく、彼らはセットの中身をちょっと覗き込むと、小さな石が一個だけ黒い紙の上にちょこんと座っているのを見て、何か急に興ざめして返事に困った面持ちになる。そして「世の中には変なことをやる奴がいるもんだ」という哀れみにも似た表情で立ち去って行くのが常である。

いろんな表情の石たちを見ていると楽しい。波に洗われ、他の石とぶつかり合い、時に優しく愛撫するように寄り添いながら今の姿になったのだろう。
石たちはありのままの姿で美しく愛おしい。

たくさんの石の写真を並べて見ているうちに、何かしら魂の宇宙をでも見ているかのような気分になって来る。

私は七星潭の波打ち際で太平洋を眺めた時のように横に広がる写真を作った。海岸の後ろの小高い丘の上から太平洋を眺めた時のように縦に長く見える写真を作った。テーブルを囲んで仲が良い友らがと語らうようような写真を作った。

ふとこの石たちが、まるで私が見知っている人たちの顔のようであるかのように思えて来た。

 

岩佐英一郎